鍵山優真選手、二十歳のお誕生日によせて

目次

はじめに

北京オリンピック銀メダリストである鍵山優真さんが、2023年5月5日に二十歳のお誕生日を迎えました!

ここ数年は毎年PIW横浜公演に出演しているので、毎年PIWで5月5日のお誕生日をお祝いしている気がします。今年も二十歳という節目の記念日を一緒にお祝いすることができ、ファンとしてとても嬉しいです😆

今回の記事はゆまちはたち記念として、これまでの優真選手の軌跡を振り返ってみましょう。

プロフィール

  • 氏名:鍵山優真
  • あだ名:ゆまち、ゆまちん

「ゆまち」は、彼の周囲のスケーターが呼んでいたのをファンが拾ってきて、どんどん広まっていったイメージがあります。

  • コーち:鍵山正和

優真選手のお父さんです!

1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピック男子シングル日本代表。そして全日本選手権3連覇を達成しているすごい方です。そんなすごい方を捕まえてきて、私たちは「パパち」と呼んでいます。

  • 誕生日:2003年5月5日

5月5日生まれは、鍵山選手の他にネイサン・チェン選手、モンキー・D・ルフィさん、ゴーちゃんさんがいます。2022年北京オリンピックでワンツーを飾ったのは5月5日生まれだったんですね。また、ルフィさんも5月5日生まれであることから、ワンピースオンアイスでキャスト公表前にルフィ役説が浮上しました。(何なら、浜銀フェスでルフィ一味の旗を持っている)

そして、テレビ朝日公式キャラクターであるゴーちゃんも5月5日生まれであることから、国別対抗戦等でゴーちゃんがリンク上で演技を披露すると、中の人ゆまち説が毎回浮上します。

 

  • 出身地:神奈川県横浜市

これも最近まで論争がありました。いわゆる「ゆまちうちの子」論争です。優真選手は色々な地に引っ越していることで、この論争が起きています。

横浜市で生まれ、富山県へ。

富山県でスケートを始め、長野県軽井沢へ。

軽井沢からもう一度横浜へ。

そして現在は大学進学のため愛知県名古屋市にいます。

そのため、優真選手にゆかりのある地域では「ゆまちはうちの子!」と大合唱だったわけです。

大学進学前の横浜在住時代に、名古屋フィギュアスケートフェスティバルに出演した際に、お父さんが名古屋出身という理由で「地元名古屋に凱旋!」と毎回のようにアナウンスされていました。その後本当に大学進学に伴い名古屋に引っ越すことになったため、思いは口にすることで叶うんだ!ということを教えてくれた出来事でもありました。

激かわ幼少期

優真選手は5歳のとき富山県でスケートを始めます。お父さんいわく、リンクの削れた氷をがじがじ噛っていたそうな。

6歳の頃には「パパがオリンピックに出て~スケート始めようと思いました!」というかわいすぎるインタビューが残っています。ちなみに、この頃の映像を見せられた正和コーチは「(かわいすぎて)やばいですよね」と語りました。

ちなみに、この頃から正和コーチは優真選手の将来を見据えた指導をしていたそうな。おいかけっこしてそのままジャンプ跳ばせることで、スピードを落とさずにジャンプを跳ばせる訓練をしたとかなんとかも語っていました。

ノービス・ジュニア時代

全日本ノービスに出場し、入賞は果たしていましたが、同世代の中で大きく抜きん出ていたわけではありませんでした。むしろこの頃は同世代であり、後に仲良しかつライバルとなる佐藤駿選手に大きく注目が集まっていました。

ジュニア移行後も、全日本ジュニア11位、12位と大きく目立つ選手ではありませんでした。ちなみに、この頃のインタビューで「スピンが好きでスピンばかり練習していた」というあまり他の選手では聞かない話を語っていました。

ジュニア3年目(2018-19シーズン)

契機となったのはジュニア3年目となる2018-19シーズンでしょう。3Aを2週間で習得(!)すると、JGPS銀メダル、全日本ジュニア5位、推薦出場のシニア全日本選手権では最終グループで演技をして6位入賞。一気に世代トップまで駆け上がりました。

実はこのシーズンに入る直前、正和コーチが病気で倒れます。「僕が強くなれば、お父さんも元気になる」とこれまでと意識が変わったと周囲の家族やコーチは語っていました。

父親であり、コーチである正和さんの不在により、自立したスケーターへと変わっていったのでしょう。

 

ジュニア4年目(2019-20シーズン)

翌シーズンも勢いは全く止まることはありませんでした。

全日本ジュニア初優勝、ユース五輪優勝、そしてシニアの全日本選手権では銅メダル、四大陸選手権でも銅メダルを獲得しました。

ユース五輪のぶかぶかユニフォーム、ニット帽は大変かわいいので皆さん見てみましょう。この時の様子がチチヤスのチー坊に似ていることから、チー坊グッズを買い集めるファンが急増しました。

このシーズンのFS「タッカー」では、シニアプログラムのみ披露したコレオシークエンスがとてもかわいいことで評判でした。クリスマスコレオ、もしくはバレンタインコレオと呼ばれました。

また、かわいさだけではなく、負けん気の強さも見せつけました。全日本選手権男子シングルのメダリスト(宇野羽生鍵山)が集まったテレビのインタビューでは、「次はてっぺんから良い景色が見たい」と直近オリンピック金銀メダリストである羽生・宇野両選手の前で語りました。

彼にとって最も嬉しかったのは父正和コーチの復帰でしょう。国際大会への帯同は佐藤操コーチに任せていましたが、国内大会には帯同していました。

 

シニア1年目(2020-21シーズン)

シニア転向と共にコロナ禍による大会中止が相次ぎました。このシーズンは当初予定していた競技プログラムを全て変更するなど、試行錯誤のシーズンとなりましたが、NHK杯優勝、全日本選手権では2年連続の銅メダル、そして世界選手権では銀メダルを獲得しました。

このシーズン印象的だったのは全日本選手権後の世界選手権代表会見でしょう。優真選手が自信がないという旨の発言をしていた際に、羽生選手が優真選手に「周りのことは気にしなくて良いから、思っていることを言って」と声をかけます。この時の羽生選手の声かけに優真選手、正和コーチ共に後から感謝の言葉を述べていました。

このシーズンSPの「Vocussion」ではシルクロードを旅する様子が感じられ、FSの「アバター」では彼の瞳に映るアバターの星の自然が感じられました。

 

シニア2年目(2021-22シーズン)

北京オリンピックシーズンとなったこのシーズン始めは、彼は世界選手権メダリストとしての重圧に苦しんでいるように見えました。

その重圧を跳ね返すきっかけとなったのは、GPSイタリア大会のFSでしょう。SPでミスを連発して7位で迎えたFSでは、自らが挑戦者であるという気持ちを取り戻して完璧な演技を披露。大逆転での優勝を決めました。

その後のGPSフランス大会でも優勝、全日本選手権3年連続銅メダルで北京オリンピック代表を勝ち取りました。

北京オリンピックでは団体戦FSで4回転4本を入れる構成に挑戦し、世界歴代3位のスコアを叩き出すと、個人戦でも素晴らしい演技で銀メダルを獲得しました。このオリンピックでは、彼が本当にオリンピックという舞台を楽しんでいるということが非常に印象的でした。

「オリンピックには魔物がいる」としばしば語られますが、「オリンピックの魔物を待て待て~とおいかけっこしているのでは?」と思うほどに彼のトレードマークである笑顔が輝いていました。

一方で続く世界選手権では悔しいミスで銀メダル。オリンピックでの嬉しい銀メダルと、世界選手権での悔しい銀メダル。2つの銀メダルを手に、次のミラノ五輪に向かうことになりました。

 

シニア3年目(2022-23シーズン)

このシーズンはここ数年の彼の中で最も苦しいシーズンになったのではないでしょうか。7月の足首の怪我が長引き、GPS欠場。全日本選手権に強行出場しましたが、8位と地元開催の世界選手権代表入りを逃しました。

正和コーチは全日本選手権も欠場を勧めていたそうなので、本当に状態が良くなかったんだと思います。

そんな中でも彼が全日本で見せたFS「Rain,in your black eyes」は極上の素晴らしさでした。静と動のコントラスト、これが彼の瞳に映る雨なのかと。もちろんまだまだ完成形でないことは理解していますが、状態が悪くてもここまでの演技が出来ることに驚嘆しました。

 

そしてこれから

PIWでは全日本以来5か月ぶりに演技を披露してくれました。新プロ「ウェルテル」はミラノ五輪のSPになる可能性もあるとのこと。この記事執筆時点ではまだウェルテルを見れていませんが、本当に楽しみです!

何よりも全日本強行出場から無事に帰ってきてくれて本当に安心しました。

フィギュアスケートを始めてくれてありがとう。これからも応援しています。

二十歳おめでとうございます。

 

 

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この記事を書いた人

ただのフィギュアスケートファン。フィギュアスケート現地観戦し始めて10年前後。現在も日本国内の大会・アイスショーに出没しています。
このブログでは現地観戦の感想、日々感じたことをのんびり書いています。

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