羽生結弦さんの離婚発表に思うこと

羽生結弦さんの離婚発表は、多くのフィギュアスケートファンにとって衝撃的でした。私もその一人です。彼の結婚自体が発表されたのはつい最近のこと。その結婚生活が早くも終わりを迎えるとは、予想外の出来事でした。この一件について、つらつらと自分の考えをまとめてみます。

被害者への批判とその違和感

このニュースに対する反応の中には、残念ながら被害者である羽生さんを批判する声も見受けられました。例えば、「もっとこうしておけば良かったのではないか?」「予見できたのではないか?」というようなコメントです。しかし、100歩どころか1万歩譲って、これらコメントが正しかったとしても、そのことが加害者の行為を正当化するものではありません。

例えば、電車内での痴漢を考えてみましょう。被害者の服装や行動を問題にする声があるかもしれませんが、それが問題なのでしょうか?真の問題は、加害者が許されるべきではない行為を行ったということです。羽生さんのケースでも、彼の決断や行動を批判する前に、加害者と想定されるメディアやその他の人たちの行為が一番に批判されるべきではないでしょうか。

メディアのあり方

羽生さんは、プロスケーターであり、世界的に知られているスポーツ選手です。彼は確かに現在人前に立つ職業に就いていますが、芸能人ではありません。また、羽生さんが名前を明かそうとしなかったにもかかわらず、彼の元配偶者に関する報道も一部ありました。しかし、彼女は一般人。この点を考えると、羽生さんのプライバシーに関しては、より慎重な扱いが必要だったのではないでしょうか。メディアによる報道のあり方にも、改めて考えさせられる一件となりました。

ファンのあり方

また、我々フィギュアスケートファンのあり方も考えさせられる一件となりました。例えば、にじさんじのVtuberアクシア・クローネがママコメ(=母親のようなコメントをすること)に嫌気がさして引退した事例は、ファンの行動が時には逆効果に働くことがあるということを示しています。ファンは選手を支える存在であるかもしれませんが、一方で、その行動が過度になると、彼らにとって負担となることもあります。

私たちが応援する選手は、生身の人間であり、私たちとは異なる人生を送っています。極端な言い方をすると、赤の他人です。私自身つい力が入りすぎて、選手が自分の身内のように感じる時もあります。しかし、その気持ちを過剰に選手にぶつけることは間違っています。

選手を応援する際には、このことを常に意識する必要があるのではないでしょうか。過度に自分の人生を投影することなく、適度な距離を保ちながら応援することが、選手にとっても、私たちにとっても最善です。

結論

羽生結弦さんの離婚発表は、多くの議論を呼びました。

私はこの一件については、被害者となった羽生さんと元配偶者に寄り添う対応を取るべきではないかと思います。

また、この出来事は、メディアの報道のあり方や、ファンとしての行動について、私たちに深く考えさせられる出来事でした。人前に立つ職業の方へのプライバシー、そしてファンとしての適切な応援の方法について、私たちは常に自らを見直し、「適切な」応援が求められているのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

ただのフィギュアスケートファン。フィギュアスケート現地観戦し始めて10年前後。現在も日本国内の大会・アイスショーに出没しています。
このブログでは現地観戦の感想、日々感じたことをのんびり書いています。

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