2025年全日本選手権はオリンピック代表選考会ということもあってか、たくさんの素晴らしい演技、心に残り続ける演技が生まれました。
今回ご紹介するのは、多くの方が最も印象に残った演技の一つとして挙げるであろう青木祐奈選手のフリースケーティング「ラ・ラ・ランド」です。
ストーリー
ラ・ラ・ランドの舞台はロサンゼルス。
女優を目指すミアと、ジャズミュージシャンとして成功することを夢見るセバスチャンは、偶然の出会いをきっかけに惹かれ合う。
二人は互いの夢を応援し合いながら日々を過ごすが、現実は厳しい。
ミアはオーディションを受け続けても結果が出ず、
セバスチャンもまた、生活のために理想とは異なる仕事を選ばざるを得なくなる。
やがてセバスチャンは安定した成功への道を選び、
ミアは自分自身の表現を賭けた一人芝居に挑む。
二人の選択は次第にすれ違い、恋人としての関係は終わりを迎える。
その後、ミアは女優として成功し、
セバスチャンも自分の店を持つという夢を叶える。
数年後、偶然再会した二人は、
もしも別の選択をしていたら、という「もう一つの世界線」を短い幻想として共有する。
しかし物語は、その幻想に留まらない。
二人は現実へ戻り、それぞれが選んだ人生を受け入れたまま、静かに別れていく。
なぜ、このプログラムは最初から哀愁を帯びているのか
ラ・ラ・ランドを題材にしたプログラムは、
夢や高揚感といったイメージで語られることが多い。
そのため、全体を通して明るい雰囲気のプログラムがほとんどである。
(いわゆる「ズンチャカ ラ・ラ・ランド」)
そして、物語の前半だけを切り取れば、確かにそうした側面もある。
しかし、青木祐奈のプログラムは、
始まった瞬間からどこか落ち着いていて、
華やかさよりも先に、静けさが印象的である。
プログラム全体の空気が、
「これから何かが始まる」という高揚感よりも、
終わりの始まりのような哀愁が漂っている。
エピローグから始まるプログラム
このプログラムで特に特徴的なのは、
使用されている楽曲の多くが、物語後半で使われる曲で占められている点だ。
とりわけプログラムの中心に据えられているのが Epilogue である。
Epilogueは、当然ながら物語の最終盤で流れる楽曲だ。
ミアとセバスチャンが再会し、
「もしも二人が別の選択をしていたら」という
ifの世界線が一気に描かれる場面で使われる。
青木祐奈のプログラムは、
そのEpilogueを物語の終点ではなく、
ほぼ出発点として置いている。
つまりこのプログラムは、
「これから夢を追い始める物語」ではなく、
「夢を追いかける物語」を終えようとしている状態から始まっている。
曲順が逆流していることの意味
さらに注目したいのが、楽曲の流れだ。
プログラムはEpilogueから Someone in the Crowd へと移行していく。
映画の時系列で見れば、
これは物語の終盤から前半へと遡る配置になる。
Someone in the Crowdは、
ミアがまだ無名で、チャンスを掴むために必死にもがいている場面で流れる曲だ。
青木のプログラムでは、
すでにEpilogueを通過したあとで、
この曲に戻ってくる。
Audition – The Fools Who Dream が
Epilogueのあいだに挟まれている点も示唆的だ。
この曲は、ミアが「これが最後」と覚悟を決めて臨んだオーディションで歌われる。
この曲は自分自身を賭けた曲なのである。
曲順全体を見ると、このプログラムは、
前から後ろへ進む物語ではなく、
後ろから前へと何度も時間を巻き戻しながら構成されているように見える。
エピローグを迎えていた競技人生として読む
ここまで見てくると、
このプログラムが描いているのは
ラ・ラ・ランドの物語そのものというより、すでにエピローグを迎えかけていた青木自身のスケート人生(とりわけ競技生活)ではないか、という読みが浮かび上がってくる。
青木祐奈は、2シーズン前の大学卒業のタイミングや、昨シーズンの終わりに、現役生活に一区切りをつける選択肢を考えていた選手でもある。
迷いながらも競技を続けることして迎えた今シーズン。
それは、これから始まる物語というよりも、終わりを意識したあとに立ち戻った物語と言えるのではないか。
その視点でプログラムを見返すと、
Epilogueが冒頭に置かれている意味が見えてくる。
すでにエピローグを迎えかけていた競技人生。
そこからもう一度、大会に出続ける日々へ戻ること。
それは、ミアが「これが最後」と覚悟してAuditionに臨んだ気持ちと、
青木が現役引退を意識しながらも大会に出場し続ける気持ちが重なる。
最終的に戻ってくるのがSomeone in the Crowdであることも印象的である。
迷い苦しみながらも、自らがジャッジから評価される立場に戻ったことを象徴しているのではないか。
このように解釈すると、「葛藤を乗り越えて、夢へと向かう」という全日本選手権の解説は半分正解だが、半分は不正解だろう。
「葛藤を抱えながらも、夢を叶えるために前に進もうとする」が正解でないか。
「必死に努力してきた自分に裏切られるのではないか」という恐怖や葛藤を抱えながら、それらを振り切るのではなく、胸に抱えたまま強く進もうとする姿を彼女はラ・ラ・ランドで表現する。
純粋に夢だけを追いかける姿ではなく、迷いや葛藤を抱えたまま進もうとするところに、多くの観客は心打たれるのではないだろうか。

