2022年北京オリンピック開催期間中に明らかになった、カミラ・ワリエワの2021年12月ロシア選手権でのドーピング陽性反応について、長らく議論が行われていました。2024年1月29日にようやくスポーツ仲裁裁判所(CAS)による決定がなされたので、その内容を整理してまとめています(該当リンク)。
処分の概要
ワリエワに科された処分をざっくりまとめると以下のとおりとなっています。
- 2021年12月25日から4年間の資格停止処分を科す。
- 同日以降の競技成績はすべて失格扱いとなるが、過去の大会の遡及失格については関係する各団体によって検討される。
- 今回の決定が最終決定となるが、30日以内にスイス連邦裁判所に上訴することは可能。
そもそも今回CASが動いているのは、ロシアアンチドーピング機構(RUSADA)の懲戒委員会が下したワリエワに対する処分が軽すぎるのではないか?として、国際スケート連盟(ISU)、世界アンチドーピング機構(WADA)、RUSADAの三者が提訴したため。ややこしいですが、RUSADAとRUSADAの懲戒委員会の意見は対立していました。
結果的に、今回のCASの決定はISUとWADAがワリエワに対して求めた処分がそのまま採用された形となりました。
以前に今回の事件を時系列でまとめているので、詳細を確認したい方は以下記事を参照ください。
論点の整理
論点①検体に違反物質が含まれていたかどうか
ロシアアンチ・ドーピング規則第4条1項には、競技者は自らの検体から検出された違反物質について責任を負うこと、そして、違反物質の存在はアンチ・ドーピング規則違反に該当するとされています。
2021年12月25日のロシア選手権において、ワリエワから採取した検体から違反物質であるトリメタジジンが検出されました。
ドーピング検査を行う際、検査結果自体の誤りの可能性もあるため、検体をA検体とB検体に分けた上でA検体のみ検査を実施します。A検体でドーピング陽性反応が出た場合は、選手からの要求に応じてB検体の検査を実施するという流れです。しかし、今回はB検体の検査を要求していませんでした。
また、CASでの審議においても、ワリエワはトリメタジジンが検出されたことに対する責任を争わなかったため、検体には違反物質であるトリメタジジンが含まれていたという扱いになりました。
4.1. 競技者の検体における違反物質又はその代謝物若しくはマーカーの存在
ロシアアンチ・ドーピング規則
4.1.1. 違反物質が競技者の体内に入らないようにすることは、競技者個人の義務である。競技者は、自己の検体中に含まれることが判明した 違反物質又はその代謝物若しくはマーカーについて責任を負う。従って、本第 4.1 条に基づくドーピング防止規則違反を立証するために、競技者の側における故意、過失、過失又は故意の使用が証明される必要はない。
論点②故意か過失か
論点①において、ワリエワの検体から違反物質が検出されたという扱いになりました。それでは、どのような処罰を科すべきか?という点が議論の中心となってきます。論点②として、違反物質が彼女の体内に入ってしまったことは故意だったのか、過失だったのかが協議されました。
提出された証拠を検討した結果、故意でアンチ・ドーピング規則違反を犯していないこと(=今回のアンチ・ドーピング規則違反は過失であること)が立証できなかったと結論づけました。
なお、ここでの証拠は開示されていないため、どのようなものだったのか知ることはできません。
2024年2月8日追記
CASが追加で発表した資料内に、ワリエワ側の説明について言及されていました。
ロシア選手権の直前に、トリメタジジンが含まれる食品を摂取してしまったのではないか。具体的には、彼女の祖父がトリメタジジンを含む錠剤を砕くために使用したまな板の上で、祖父が用意したイチゴのデザートを食べたので、その時に摂取してしまったのではないかとのこと。
つまり、彼女の主張は故意ではなく、過失だったということですね。
しかし、証拠不十分とされ、アンチ・ドーピング規則違反を故意で犯していないということが立証できなかったという取り扱いになりました。
彼女の説明が正しいのか否かは置いておいて、いわゆる「うっかりドーピング」をうっかりだと証明することの難しさを感じました。
故意ではなかったということが立証できなかったため、ここで彼女に科される処分は資格停止期間4年が浮上します。これは、ロシアアンチ・ドーピング規則第12条2項において、アンチ・ドーピング規則違反が故意によるものでないと立証できない限り、資格停止処分4年と定められているためです。ちなみに、故意によるものでないと立証できる場合は、資格停止処分2年とされています。
12.2.1. 12.2.4に従い、以下の場合、資格停止期間は4年間とする
12.2.1.1. 競技者又はその他の者が本規則違反が故意によるものではないことを立証できず、 本規則違反が特定物質又は特定方法に関与していない場合。12.2.1.2. 本規則違反が特定物質又は特定方法を含み、かつ、RUSADA が本規則違反が故意であったことを立証できる場合。
12.2.2. 第 12.2.1 項及び第 12.2.4.1 項に定めのない場合、資格停止期間は 2 年間とする。
ロシアアンチ・ドーピング規則
論点③被保護者としての取り扱い
論点③は被保護者のロシアアンチ・ドーピング規則違反をどのように取り扱うかという点です。2021年12月のロシア選手権当時、彼女は15歳の被保護者であることが2022年北京オリンピック当時でも議論になっていました。
今回も同様に被保護者であることが考慮されるか…と思いきや、全く考慮されませんでした。これは、ワリエワが今回該当したロシアアンチ・ドーピング規則第12条2項で定める処分に、被保護者である競技者とそうでない競技者を異なる取り扱いとする条文がないためです。そのため、通常の競技者と同様の処分が科されると判断されました。
ちなみに、同規定第12条3項で定める規則違反の処分では、被保護者は最大2年の資格停止処分、最も軽い処分としては資格停止期間の指定を伴わない謹慎処分とされています。
12.3. その他のドーピング防止規則違反に対する資格停止
ロシアアンチ・ドーピング規則
12.3.1. 本規約第4.3項または第4.5項の違反については、本規約第12.2項に規定されていない。 以下の場合を除き、資格停止期間は4年間とする
c) 被保護者又はレクリエーション競技者によって違反が行われた場合、資格停止期間は、被保護者又はレクリエーション競技者の過失の程度に応じて、最大 2 年の資格停止期間と、 最低でも資格停止期間の指定を伴わない譴責処分との間の範囲とする。
4.3. 検体採取の回避、拒否又は不提出
ロシアアンチ・ドーピング規則
検体採取を回避すること、正当な権限を有する者から通知を受けた後、やむを得ない正当な理由なく検体採取を拒否し、又は検体採取に応じないこと。
4.4. 居場所情報義務違反
検査対象者登録リストに含まれる競技者による、12 ヶ月間に 3 回の検査未了 及び/又は結果管理に関する国際基準において定義される居場所情報未提出。
4.5. 競技者又はその他の者によるドーピング・コントロールの一部に対する改ざん又は 改ざん未遂 競技者又はその他の者によるドーピング・コントロール
論点のまとめ
今回ワリエワの処分を検討するにあたって協議された論点とその結論は以下のとおりです。
- 論点①検体に違反物質が含まれていたかどうか
-
検体に違反物質は含まれていた。
- 論点②故意か過失か
-
故意ではないということを立証することが出来なかった。
- 論点③被保護者としての取り扱い
-
被保護者ではあるが、被保護者であるからといって処分を軽減する規則はなかった。
結果として、通常のアンチ・ドーピング規則違反の処分が科され、資格停止処分4年となりました。
これから
CASの裁定は最終決定です。ただし、30日以内にワリエワ陣営がスイス連邦裁判所に上訴することは可能なので、まずはワリエワ陣営が上訴するかどうか、上訴した場合はその決定がどのようなものになるのかが鍵になると思います。
故意か過失かはわかりませんが、彼女の体内にトリメタジジンが入ることがなければ、ドーピング検査結果が遅れることなく通常の早さで出ていれば、当初情報は伏せられていたにもかかわらず、彼女のドーピング陽性反応をリークする報道機関がいなければ、団体戦のメダルセレモニーをIOCが延期することなく開催期間中に実施していれば、どれか1つでも変わっていれば北京オリンピックがもっと良いものになっていたと思わずにはいられません。
彼女のコーチであるエテリ・トゥトベリーゼがInstagramで投稿していたように、どこからこの物質が彼女の体内に入ってしまったのか明らかになることを強く望みます。