これから正式に本人から発表があるかもしれませんが、ダリア・ウサチョワ選手がシングルからアイスダンスに転向するという記事が出ています。彼女を指導するエテリ・トゥトベリーゼも同様の趣旨の発言をしていることからほぼ確定情報と見て良いと思います。彼女の新たな門出を応援する気持ちで、シングルスケーターとしての軌跡を振り返ってみます。
【2023年4月28日追記】
エテリちゃんもアイスダンス転向すると言っていましたが、最近のインスタストーリーでは普通に3Lzや2A+3T等のジャンプを跳んでいるので、本当にアイスダンス転向確定なのかわからなくなってきましたね…。
ウサチョワのプロフィール
- 出身:ロシア連邦 ハバロフスク
- 誕生日:2006年5月22日
- コーチ:エテリ・トゥトベリーゼ、セルゲイ・ドゥダコフ、ダニイル・グレイヘンガウス
- 所属:クリスタル
ウサチョワは極東ハバロフスクの出身です。ロシアのトップスケーターはほとんどがモスクワ、サンクトペテルブルグ等の西側に位置する地域出身ですが、彼女は極東出身のトップスケーターという稀有な存在です。4歳のころに家族でモスクワに移住したそうな。
実は私は数年前にハバロフスクに行ったことがあります。日本からも2時間弱で行くことができ、国内旅行の感覚になります。とても坂が多いですが、アムール川に面しており、自然も豊でとても良い地域です。
話がそれました。この記事はハバロフスクの紹介記事ではない。
とにかく、とても良い地域で天才スケーターは誕生しました。その後モスクワに上京し、サンボ70クリスタルに入門。幼少スケーターの指導をしていることが多いオクサナ・ブリチョワ、次に、2016年世界選手権銅メダリストであるアンナ・ポゴリラヤを育てたアンナ・ツァリョーワの指導を受けました。そして、2018年にツァリョーワがサンボ70クリスタルから去ることになり、ウサチョワは虎の門であるエテリ・トゥトベリーゼの門をたたきました。ジュニアデビューを1年後に控えたノービスA2年目のことです。
2018~19シーズン(ノービスA2年目)
ノービスA1年目から同世代の中で光る存在ではありましたが、エテリ移籍後のノービスA2年目シーズンはより光を放つようになります。ロシアジュニア選手権こそ10位にとどまりましたが、ロシアカップ優勝と準優勝。ロシアカップファイナルでは準優勝に輝きました。
このシーズンのフリースケーティング(FS)は「007」でした。この時期には既に彼女の武器であるポージングの美しさ、スケーティングに曲を馴染ませて表現することができているように思います。
2019~20シーズン(ジュニア1年目)
満を持して迎えたジュニアデビューシーズン。
同世代には、後にワールドレコードを更新するカミラ・ワリエワ、2022年世界選手権銅メダリストであり、ジュニアデビュー時には既に全米選手権優勝を果たしていたアリサ・リュウら強豪が引きめいていましたが、ウサチョワはジュニアグランプリファイナル銅メダル、世界ジュニア選手権で銀メダルを獲得という活躍を見せます。
ワリエワ、リュウも非常に優れたスケーターでしたが、ウサチョワのシニアベテラン選手かのような成熟した演技は非常に目を引きました。ショートプログラム(SP)で演じたPlease Don’t Make Me Love Youは前シーズンから継続のプログラムということもあってか、非常に完成度の高い円熟味のある演技でした。
2020~21シーズン(ジュニア2年目)
新型コロナウイルスの影響を最も受けたシーズン。ジュニアの国際大会開催はなく、国内大会が主な活躍の舞台となりました。最も多くのスケートファンの心に残っているのは、間違いなくシニアのロシア選手権で見せたSPFSのクリーンプログラムでしょう。
SPでは「映画『ムーラン・ルージュ』よりOne Day I’ll Fly Away」を演じます。この曲をフィギュアスケートにおいて使用する際、他のムーラン・ルージュの楽曲と合わせて使用されることが非常に多いです。この1曲のみで構成されたプログラムはあまり見かけません。しかし、彼女はこの1曲のみで構成されたプログラムを演じ上げます。往年の大女優のような貫禄すら感じる演技です。
そしてフリースケーティング。この年のロシア選手権FSの最終滑走はウサチョワでした。SP3位とメダルが見える位置でのスタートでしたが、実は彼女の直前3人(アンナ・シェルバコワ、カミラ・ワリエワ、アレクサンドラ・トゥルソワ)が複数4回転を成功させるノーミス演技を3連続で披露しており、会場は[もう優勝決まったのでは?」という雰囲気になっていましたが、彼女が演技を始めると一瞬にして会場は彼女色に染まっていたように思います。当時、私は全日本選手権の現地観戦のため訪れていた長野県のホテルで、深夜に見たこの大会のことが忘れられません。惜しくも4位となりメダルを逃しましたが、この状況下で自分のすべきことを全て完璧にこなしたウサチョワの強さを思い知らされました。
(惜しむらくは、彼女にしては珍しくプログラムの構成が残念なことか…)
2021~22シーズン(シニア1年目)
北京オリンピックシーズン、ウサチョワはSP[Never Enough」、FS[トゥーランドット」という2つの「神プロ」を用意してシニアデビューを果たしました。グランプリシリーズ・アメリカ大会では同門のトゥルソワの次ぐ2位、順調なシニアデビューシーズンを送っているかのように見えました。
しかし、NHK杯(グランプリシリーズ・日本大会)のSP6分間練習の途中で足を痛めて棄権。そのまま、目標としてきたオリンピックを断念することになりました。当時、現地観戦をしていた私は、抱きかかえられながらリンクを去るウサチョワを呆然と見つめていました。あの怪我がなければ、また違ったスケート人生があったのかもしれない…と思わずにはいられません。
最近、エテリがインタビューで語ったところによると、実は来日前から怪我の予兆はあったようです。エテリはウサチョワの出場に対して断固として反対したが、ウサチョワは泣いて出場を訴え、彼女の母も出場を希望したと。エテリのスタンスは、最終判断は選手自らで行うというものであるように感じることが多いので、今回のケースも同様だったのだと思います。
この点については誰も責めることはできません、北京オリンピックに出場するにはロシアの上位3人に入る必要がありますが、当時のロシアは群雄割拠。シーズン始めのウサチョワの位置づけとしては国内4~6番手あたりだったでしょう。オリンピックに出場するためにもシニア国際大会での実績は、喉から手が出るほど欲しかったと思います。エテリもウサチョワの出場については、ただの反対ではなく「断固として反対した」と述べています。ただ、一選手として競技の場に立つ以上、最終判断は自分でということでウサチョワを信じたのだと思います。
彼女があの日、日本で滑るはずだった「Never Enough」は、アイスダンサーになったとしても彼女の代表作であり続けるでしょう。シングルスケーターとして彼女が積み上げてきたものすべてがこのプログラムにつぎ込まれています。アイスダンサーとして再び来日し、アイスダンスプログラムとして「Never Enough」を見たいというのは私のわがままでしょうか?
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