2024年全日本選手権で、現役復帰を果たした織田信成選手が披露した“マツケンサンバ”は大きな話題を呼んでいます。
会場では涙を流すファンも見られました。そして、YouTubeでの再生回数は驚異的な伸び!既に100万回再生を大きく上回っています。しかし、明るい曲調にもかかわらず、なぜ織田選手のマツケンサンバはこんなにも人々の心を揺さぶるのでしょうか?
本記事では、織田選手が魅せた“マツケンサンバ”が、なぜ人々の心を打つのかを考えていきます。
なぜ「マツケンサンバ」なのに涙を誘うのか?
通常、涙を誘うフィギュアスケートプログラムといえば、感情移入しやすい映画音楽を使用したプログラムでしょう。しかし織田信成選手の“マツケンサンバ”は、まさにお祭り。私も現地観戦していましたが、彼の演技中は”ええじゃないか”と江戸の街を練り歩いているような感覚を覚えました。
にもかかわらず、多くの観客が涙を流しました。私は今でも全日本選手権のマツケンサンバを見返すと、少しだけうるっときてしまいます。一体なぜでしょうか?
現役復帰した37歳スケーター
まず注目すべきは、織田信成選手が“37歳”という年齢で再び全日本選手権の舞台に立ったという点です。
フィギュアスケートは、競技生命が非常に短いスポ―ツです。トップ選手でも20代中盤には現役引退することがほとんど。若い選手が優位に立ちやすいスポーツです。
しかし、そんな常識を覆すように、織田選手は2022年に現役復帰。2024年の全日本選手権へ復帰を果たしました。
年齢の壁を越えて、37歳という年齢で全日本選手権で戦う姿は、年齢はただの数字だということを証明してくれました。
11年前に決めれなかった4回転
時を2014年ソチオリンピック最終代表選考会である2013年全日本選手権に戻しましょう。
直前のグランプリファイナルで優勝した羽生結弦選手の代表入りは確定的。残る2枠を高橋大輔選手、町田樹選手、小塚崇彦選手、織田信成選手、無良崇人選手で争うことが有力視されていました。当時の代表選考基準上、織田選手は全日本選手権で3位以内に入らない限り、代表候補にすら残れないという状況でした。
2010年バンクーバーオリンピックがあった2009~2010シーズンは、織田選手にとって飛躍のシーズンでした。グランプリシリーズ2戦連勝、グランプリファイナル銀メダル獲得。しかし、メダルを目指したバンクーバーオリンピックのフリースケーティングでは、靴紐が演技中に切れるアクシデントに見舞われ7位入賞に留まりました。
バンクーバーの借りを、もう一度オリンピックに出場して返すという想いで迎えたであろう2013年全日本選手権ショートプログラム。演技冒頭に予定されていた4回転トーループ+3回転トーループは、3回転トーループになりました。4回転トーループが決められなかった瞬間に、3位以内、そしてソチオリンピックは絶望的になったと言ってよいかもしれません。
ショートプログラムを終えて3位と約13点差という絶望的な差になり、フリースケーティングで巻き返したものの最終順位は4位。オリンピックへの道は絶たれました。そして、全日本選手権のエキシビションであるメダリストオンアイスで現役引退を発表しました。
2024年全日本選手権で成功させた4回転トーループは、11年前に決めれなかった4回転トーループでした。
出場資格なしを乗り越えた先の全日本
織田選手は2023年全日本選手権の予選会である西日本選手権で優勝していましたが、同年全日本選手権には出場が出来ませんでした。現役復帰時に提出する必要がある”復帰届”が未提出であり、“アンチドーピング規則違反”となってしまったためです。
結果として、2023年全日本選手権は出場資格がありませんでした。
年齢のこともあり、いつまで現役続行できるかもわからない状況下で手続き漏れにより出場できない全日本選手権。その悪夢を乗り越えた先にあった今回の全日本選手権でした。
これまでの苦しさを感じさせない
最後の全日本選手権で決められなかった4回転、アンチドーピング規則違反という試練、さらには37歳という年齢ハンデ──いずれも相当な重荷であるはずなのに、織田信成選手の演技からは“苦しさ”をまったく感じさせません。それどころか、マツケンサンバの陽気なリズムに合わせて、楽しそうにスケートを滑る姿が印象的でした。
織田選手がこれまでに歩んできた厳しい道のりと、軽やかに演じるマツケンサンバ。そのコントラストが非常に印象的でした。そのコントラストがあまりに際立っており、私たちの心を打つのではないでしょうか。